昭和49年(1974年)は心霊写真の一大ムーヴメントであった。
特にその象徴的な“事件”として次の3つが挙げられる。
一つ目は中岡俊哉の『恐怖の心霊写真集』の刊行。
二つ目は東村山市の中学校で起こった心霊写真騒動を『毎日新聞』が報道。
そして3つ目がここに取り上げる写真である。
7月27日付の『読売新聞』誌上で、奇怪な写真が掲載された。
その年の6月9日に尾瀬の湿原で撮られたその写真は、
4人の女性ハイカーだけのスナップであるはずだった。
しかし、彼女たちの背後にピッタリとくっつくように、
ゴルフ帽をかぶった男性らしい人物の首が写り込んでいたのである。
尾瀬の湿原は人間一人分の幅しかない木橋の上を歩いて行かねばならず、
背後の人物は完全にその木橋からはみ出だしている
(手前の女性ハイカーで背後は完全に隠されているが、
どう考えても橋の上に立っていられるだけの“厚み”がないのである)。
そして拡大された写真を見れば、その人物の顔が黒く塗りつぶされているのがわかる。
これらの理由から、まさしくこのゴルフ帽の人物は生身の人間ではないことがわかるだろう。
(ちなみに尾瀬はこの心霊写真以外にも結構の数の霊目撃があり、
隠れた心霊スポットであることも付け加えておきたい)
鮮明な心霊写真であると同時に、この写真は世界有数の発行部数を誇る『読売新聞』誌上に掲載され、
最も数多くの人の目に触れた心霊写真として特筆されるべきである。
またその観賞に堪えうるだけのインパクトを持った写真である。
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