どこにでもいる人



事実関係がわかればわかるほど、不気味な感覚に襲われる写真である。 1枚目の写真は、昭和50年8月1日午後9時頃、京都島原の揚屋「角屋」にて撮られたものである。 そして2枚目の写真は、翌日8月2日午後1時頃、京都タワー内の飲食店にて撮られたものである。 いずれの写真にも、全く同一人物と思われる女性の顔が写っている。

この女性がその場にいなかった存在であることは、その構図から考えて間違いない (2枚とも遠近法を無視したものになっている)。 さらにその目は両方とも黒目であり、この世のものではないとほぼ断定してよいだろう。 だが、この2枚の写真の最も不気味なところは、 時間的・空間的に異なるポイントで全く同じ人物の霊が写されている点であろう (時間的には約半日、空間的には約数キロの違いである。 これが近いか遠いかは主観の差によるだろう)。 まさしくこの写真を撮った本人について回ったというしかない状況である。

解説によると、この女性が写った現象は【霊視念写】と同じだという指摘がある。 撮影者本人の意識にかかわらず、霊的な存在を写し出してしまったということらしい (つまりこの女性の霊はこの場におらず、撮影者の霊的波動と感応して像が現れたと考える)。 多分その霊としての写り方があまりにも鮮明すぎるというのが判断の理由ではないかと思う。 しかしながら、個人的には近くにあった霊が波長が合ったためについて回ったと見る方が妥当なような気がする。 やはり念写を行うのには、何らかの霊的な波動の増幅が必要であり、その種の意識をしない人間がここまで鮮明な念写、 しかも連日で2回も成功させる方が異常事態であると思う。





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